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Art museums(GALLERIES)


マイケル・ケンナ写真展 トークイベント

2010.03.28  *Edit 

マイケル・ケンナ写真展 風景に刻まれた記憶
MICHAEL KENNA Landscapes and Memory
http://www.miyanomori-art.jp/exhibitions/100116_michaelkenna.html

宮の森美術館 3月26日(金)19:00からのマイケル・ケンナ アーティストトークに行ってきました。
その前に展示を見ました。展示は2002年から2009年に撮影してきた北海道と他の地方の日本を写した写真でした。
それと森山大道さんの前から行なってる展示の一部、アンディ・ウォーホルみたいな同じ画像の連続写真の壁面に額装した写真が並ぶ展示ルームがあって、その奥にマイケルケンナさんの撮影シーンがある映像がありました。

マイケル・ケンナさんのトークは、最初の方に、撮ってる写真はコピーではなく、位置を決めてよく観察して被写体に敬意して対面して撮ってる、だからパパラッチでもないことを強く言ってました。マイケル・ケンナさんはイギリス生まれでアメリカ在住なのでパパラッチで生活すれば、大金はつかめる国にいるわけだけど、所詮パパラッチは盗撮だし、一方的なものですしね。(でも海外の有名人はパパラチに撮らせてあげるサービス精神があるけど、日本の有名人にはないので海外のパパラッチは羨ましいですけどね)

森山さんはコピーなので、その対極的な二人の展示が同時期に開催してることが面白かったです。コピーに関しては否定的な感じも受けますが、森山さんもマイケル・ケンナさんも共通する事は、プリントは自分でやっていて、独自のプリントを出しているし、暗室作業を二人とも大事にされていて好きでしているということでした。
森山さんは、コピーだからって悪いわけではないし、写真の本質でもあるし、デジタル入る前の時代に、森山さんが写真を壊して、粗いプリントをして行ったことは、時代を早く取り入れてるし先見の目があっての事だと思います。今した所でデジタル、特に当初は粗いのが当り前だし、コンピューターで2階調にするのは簡単にできるので、今の時代でデジタルで粗くしたところで新しくもないです。森山さんは、この前のトークで、写真はコピーなので、機材は写れば何でもいい。写らない事には始まらない。ということをいってたので、すごく究極的でした。でもモノクロにとことん拘りたい人は徹底的にこだわれば良いとも言っていた。マイケル・ケンナさんはデジタルも否定的でした。

この二人のトークを聞いて、振りかえって見たらとても面白いです。

デジタルを考えると、ファッション写真もそうですが、写真は、もうフィルムで新しい視覚を生み出す事は、困難だと思います。もう先任たちがしてきたので、フィルムでやるには、よほどダイナミックにやるか、プリントをすごく綺麗にするか、ミクストメディアになるしかないと思います。
デジタルもある意味ではミクストメディアだと思います。写真でムーブも作れるし、CGで加工して、有り得ない画像、この世に存在しない画像を作るしか、新しい視覚なんて生まれないと思います。デジタルでするなら、粗さより、デジタルだからこそ綺麗でなければいけないのではないかなって思います。
純粋に写真を写していくなら、報道写真だと思います。でもそれも写真ではなくドキュメンタリーが主流になってるので写真は古いかもしれないけど、機械を通さなくても見られるプリントとしての媒体は不滅だろうと思う。だから何年先でも見られるようにフィルムでもプリントはすんごく綺麗じゃないといけないなって思った。

話が反れました。マイケル・ケンナさんの写真は、コピーではないと言ってて、それは写真をみればわかるんですが、アンセル・アダムスや柴田敏雄さんのような写真にある、ランドスケープ・アーキテクトです。尊敬する人がアンセル・アダムスといってました。アンセル・アダムスのモノクロプリントや描写は素晴らしく美しいし、環境保護を訴えている。マイケル・ケンナさんも美しいんですがアンセル・アダムスと違いました。柴田さんとも違います。この3人は違うと思うんですが、自然環境にある人間の建造物、手入れされている自然環境を撮るのは柴田さんのようでした。


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ランドスケープ・アーキテクトのことを書いてる『デザイン・ウィズ・ネーチャー』の本には、著者は日本人は自然に対して神を見出し自然と共に環境を創り出していることを書いていて、それに対してアメリカ人は、自然を破壊して建造物を作ってきました。そういったことで宗教にも関係ある事を書いてますが、この本を思い出しました。マイケル・ケンナさんは、この本のように日本人は大地の神などというように自然を大事にして自然環境と共に人間が生活している事を言っていたので、これは日本人にとっては当り前の事だから、外国人と日本人が自然に対する価値観が違いますね。マイケル・ケンナさんは神学に最初すすんでおられたので、そういった精神性を大事にしているのかなって思いました。

アンセル・アダムスや柴田さんの写真は大型で撮ってるから、パリッとシャキッとしていて、硬く威厳があるイメージなんですが、マイケル・ケンナさんは、幽玄で柔らかさがあります。ハッセルで撮ってる特徴が出てますし、だからこそ被写体をより最大限に表現させてると思います。マイケル・ケンナさんは雪で全てが覆われていることを「包んでいる」と表現しており、その表現は初めて聞く言葉でしたが、写真には、まさに自然を包んでいる雪の優しさが溢れておりました。
京都のお寺や仏像、中国の黄山も撮ってるし、写真にかなり東洋の影響を受けてる感じがしました。水墨画に見えるんです。雪と空が真白なので、そこに木があり、それが浮いていて見えるので、日本や中国の水墨画のように見えました。だから、京都のお寺や仏像など写すより北海道の冬の自然を写している写真がとても好きでした。

それから、森山大道さんの写真は、最近鉛は筆デッサンに見えるんです。粗い画用紙で書いた鉛筆デッサンに。プリントの粒や粗さが、鉛筆で描いたようなタッチに見えるんです。デッサンは、トーンや立体の訓練ですが、モノクロもトーンや立体の訓練だと思います。写真のモノクロって絵画で言うとデッサンなんだなって思いました。写真やってる人には、悪いけど私は写真を絵画と結びつけてしまいます。でも絵画から生まれたんだし切っても切れない関係だから仕方ないですよね。でも絵と違い写真はモノクロとして独立してる写真だし、絵になるし、すごいなって思います。

100328_204632.jpg

サインしてもらいました。下の写真は、宮の森美術館の教会に行く通路。教会の中でトークを行ないました。



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